釜石の奇跡

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群馬大学大学院・片田研究室 提供

「釜石の奇跡」:3,000人の生徒達はどのように3.11から助かったか(仮訳)

15,800以上もの人々の命が奪われ、今なお約2,660人が行方不明となっている2011年3月11日の東日本大震災で、岩手県釜石市の3,000人近い小中学生のほぼ全員が避難し奇跡的に無事だったことは多くの人に希望を与えている。

その最たる例が、市内でも最も大きな打撃を受けた鵜住居地区の子ども達だ。マグニチュード9.0の地震発生直後、釜石東中学校の生徒達は直ちに学校を飛び出し、高台をめがけて走った。彼らを見て、近所の鵜住居小学校の児童や先生達もあとに続き、さらには多くの住民もそれに倣った。

中学生たちは年下の児童達を助けながら走り続け、安全な場所に一緒に辿りついた。その時、彼らの背後では巨大な津波が学校を、そして町を飲み込んでいた。

釜石市では1,000人以上が亡くなったが、学齢期の子どもの犠牲はたまたま津波が襲った時に学校にいなかった5人のみだった。子どもたちが無事に避難し命を救えた話は「釜石の奇跡」として知られるようになった。

生徒達が迅速な対応をすることができたのは、実は釜石市内の学校が群馬大学の社会環境デザイン工学専攻の片田敏孝教授の指導のもとで数年間取り組んできた防災教育プログラムの成果だ。

「防災におけるファーストプライオリティは人が死なないことです。そのためには、ちゃんと自分の命を守れる子どもを育てる必要があります」と片田教授は言う。

防災意識を高める

元々は河川洪水の防災の専門家だった片田教授は、2004年にインド洋の津波が残した悲惨な結果を目の当たりにしたことがきっかけとなり津波防災に取り組むようになった。日本の沿岸地域では大規模地震の発生が警告されてきたにもかかわらず人々の警戒レベルは低いことを危惧していたという。

三陸地方は過去100年に二度、大規模な地震と津波に襲われているにもかかわらず、片田教授はそこに暮らす子ども達が、もしまた津波が来ても、親たちが逃げないから自分たちも逃げない、とためらうことなく語ったことに衝撃を受けたという。

「子ども達は大人の背中を見て育ちます。もしこの子達が津波で命を失ったら、それは親だけでなく、地域社会と大人全体の責任です。子ども達が自分の命を守れるように何とかしなければならないという思いが強くなりました」と片田教授は振り返る。

彼の情熱はやがて釜石の教師達を動かした。教授と共に彼らは子ども達が津波や避難することの重要性について学べるよう、授業案や学内活動のさまざまなアイデアを出し合い、取り組んだのだった。


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もっとも、片田教授は子ども達に津波の知識を教えることだけではなく、自然に向き合う正しい姿勢を育てるということに力点を置いた。

「それは大いなる自然の営みに畏敬の念を持て、ということと、自らの命を守ることに主体性を持て、ということです」と片田教授。これを子どもたちにわかりやすくするために「避難の三原則」というアクションプランを作った。

三つの原則

第一は、想定にとらわれないこと。「つまり、ハザードマップ(災害予測地図)を信じるなということです。ハザードマップを見ると、大抵の人は自分の家が被災ゾーンの外にあると安心します。でもそれは過去の津波に基づいて作られただけで次がそうだとは限りません。想定にとらわれないことが大切なのです。」


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第二は、最善を尽くすこと。「あの日、生徒達は最善を尽くしたと思います。彼らはより高台へ逃げるよう先生達をせき立てました」と片田教授。そして年長の生徒は小さい子を助けることも忘れなかった、とも。

そして第三は、率先避難者となること。「人は避難すべきだとわかっている時でさえ避難しないものです。ほかに誰も避難しないなかで、自分だけ避難する気にならないのは自然なことです。だから生徒達には、勇気を出して最初に避難する人間になれと言いました。もし君が避難すれば、ほかの人もついていくだろう。そうすれば、君はその人達の命を救うことができるんだよと伝えました」と彼は語る。「そして、まさにその通りになりました。」

Kesennuma

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片田教授によれば、この避難の三原則はいかなる災害時にも応用がきく。「どんな場合でも同じことです。なぜなら、大切なのはまさに自然に向き合う姿勢であり、どうその環境で生きていくかということですから。」

また彼は、自分の命を救える子どもになる教育を続けることも重要だという。「この子たちはやがて親になる。津波から逃げる大人がいれば、子どもたちもちゃんと逃げます。」

Produced by The Japan Times