アイリンク牡蠣養殖場

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牡蠣養殖業者、再生への出発(仮訳)

宮城県気仙沼市の菅野和享氏が営む牡蠣養殖業は、東日本大震災の津波で壊滅的な打撃を受けた。

「本当に大変でした。何度も辞めようと思いました」と盛屋水産の菅野社長は言う。「でも、ほかにできることもなかった」ので細々と牡蠣養殖を続けていったと。

震災後一年目は、盛屋水産の販売量は前年の10%以下に激減した。しかし、2年目の販売量は津波前レベルの約30%に戻った。少しずつだが回復に向かっている。

販売の回復に貢献したのは、オンライン牡蠣小売業者の株式会社アイリンクだった。同社は震災後、牡蠣養殖場で使うロープやボートのパーツなどを、盛屋水産を始めとする三陸の牡蠣養殖業者に寄付したのである。

「東北の牡蠣養殖業者を助けたいということだけが動機ではありませんでした」とアイリンクの斎藤浩昭社長は語る。「宮城県の種牡蠣は日本で流通する種牡蠣の80パーセントを占めます。ですから、東北の牡蠣養殖業を救うということは日本の牡蠣養殖業を救うのと同じことなのです。」”

アイリンクは、牡蠣養殖に不可欠なロープ、フロートなどを383軒の養殖業者に寄付した。愛知県の牡蠣養殖用ロープのメーカーなど、日本全国を車で回って、それらの商品を探したという。

また、日本全国の牡蠣のネット販売を手がけるアイリンクだが、震災後は自社ウェブサイトやオンラインショッピングサイト上で優先的に東北の牡蠣を販売した。

アイリンクが売買契約している東北の牡蠣養殖業者は震災前には6軒だったが、現在は11軒に増えた。同社が契約している日本全国の牡蠣養殖業者の数は30軒から38軒に増えている。

震災2週間後の2011年3月26日、斎藤氏は牡蠣養殖業者支援のため、復興後の牡蠣を前払いで購入することができる「牡蠣オーナー制度」を立ち上げた。購入者は一口1万円で20個の牡蠣を購入できる。このシステムは、牡蠣養殖業者が事業を継続していくうえで大変役立った。

このシステムにより2011年の年末までに24,000人から3億円が集まり、2012年5月からは、実際に牡蠣が顧客に配達されるようになった。

フランスからの援助

2011年の夏、斎藤氏の活動を報道した英文記事を読んだフランス非営利組織の代表者が彼を訪ねてきた。フランス牡蠣業界からも東北にロープなど牡蠣養殖に必要な物を寄付したいと申し出たという。

フランスの申し出は当然感謝すべきことだが、驚くべきことというわけでもなかった。と言うのは、1970年代にフランスの牡蠣が病気で絶滅の危機に瀕したときに三陸の牡蠣養殖業者が種牡蠣を提供した、という縁があったからだ。

「フランスの牡蠣養殖業者は皆このことを知っています。フランスの牡蠣の約90%は三陸の牡蠣の子孫なのです」と斎藤氏は言った。

三陸の種牡蠣は病気や苛酷な環境に強いので多くの牡蠣農家が欲しがる、と斎藤氏は言う。

日本では宮城県と広島県以外で種牡蠣を供給する業者はいない。斉藤氏によれば、それ以外の場所では干潮で牡蠣が水面上に出る養殖場所がないからだ。水面上に出ると牡蠣が鍛えられるという。

また、宮城県の冬は寒さが厳しく、雪が降ることも多い。種牡蠣はさらに鍛えられ、弱い牡蠣が死に強いDNAだけが生き残る。また、三陸は海岸のすぐ後ろに森林があることが多く、周辺海域は栄養が豊富だ。

斎藤氏は、オーストラリア、フランス、ベトナムなど様々な国を訪ね牡蠣養殖場を見てきた。その結果分かったのは、三陸沿岸ほど、強い種牡蠣を育てるのに好条件がそろっている場所は世界のどこにもないということだと言う。

また、斎藤氏は若い三陸牡蠣養殖業者と共に、株式会社和がきという新会社を設立した。同社はフランス方式の養殖手法を導入し、殻付き牡蠣の流通を目論む。

将来像

震災後、斎藤氏は、事業のアジア展開を始めた。まずは、ベトナムでの販売を開始し、ホーチミンで牡蠣のバーベキューを楽しめるレストランを建てた。彼はさらなる海外事業の拡大を狙う。

この秋、斎藤氏は宮城県の石巻市で、国際牡蠣フェスティバルの開催を計画している。毎年恒例のイベントにする予定だ。

「去年アイルランドに行き、ゴールウェイ国際牡蠣・シーフード·フェスティバルに参加しました。50年以上の歴史があるイベントで、牡蠣の殻剥きコンテストなど楽しいイベントで盛りだくさんでした。日本にはこういうものがなかったのでやってみたいと思いました」と彼は語る。

「20年後、三陸の美しい風景を楽しみ、おいしい牡蠣を食べるために、世界中の人々に来ていただけるようになってほしいです。」

Produced by The Japan Times