IT技術とともに蘇ったイチゴ畑

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IT技術とともに蘇ったイチゴ畑

ITを駆使したイチゴ農業が東北地方で成功、海外にもチャレンジ(仮訳)

宮城県山元町は、東日本大震災で海からの塩が混じった泥に覆われた。2011年3月11日、福島県との県境に接する海岸沿いに位置するこの町は、津波によって農地の多くが被害を受けた。129件あったイチゴ農家のうち、125軒でグリーンハウスが流されてしまったのである。

山元町出身の岩佐大輝氏は震災当時、東京でITベンチャー企業を経営していた。震災直後に山元町へ戻り、ボランティア活動に従事した。間も無く、ICT(情報通信技術)を駆使してイチゴ農業を再生させることで町の経済を再生させるべきだと考えるようになった。

岩佐氏は東京を離れ、2011年7月に山元町で農業生産法人GRAを設立、津波により職を失った地元のイチゴ農家を雇った。地元農家の人々は、農地の荒廃と資金不足のため数ヶ月間途方に暮れていたのだった。

現地のイチゴ農家では、他の農家同様、長年の勘から温度や湿度などを調整していた。一方、岩佐氏のシステムの場合、ICTが気候条件を最適化するため、窓が自動開閉したり、スプリンクラーが自動的に作動したりする。

このシステムのおかげで、GRAはイチゴの安定供給が可能になり、強いブランドイメージを持つようになった。結果、単価はキロ当たり3000円、震災前の980円と比べて3倍以上になったと、岩佐氏は語る。イチゴ畑の面積は11,000平方メートル。 GRAはトマトも栽培しているが、畑の面積は2000平方メートルだ。

岩佐氏は、ベテラン農家からのアドバイスは品質を向上させるのに非常に役立つと述べる。一方で、ベテランの勘を共有できるICTの利点も感じている。それによって、ベテランが不在のときでも他のスタッフがどうすればよいかが分かり、品質の安定につながる。

インドへの挑戦

GRAは、このビジネスモデルをインドに持ちこんだ。甘くておいしい日本のイチゴをインドの人たちに提供するためだ。

GRAはインドを魅力的な市場と見ている。インドは世界で2番目に人口の多い国なのだが、現地のイチゴは非常に高価であり、あまり美味しくない、と岩佐氏は言う。

「キロ当たりのイチゴの価格は、インドと日本では殆ど同じです。ということは、物価レベルを考慮に入れると、インドではイチゴは非常に高価なのです」と岩佐氏言う。「インドのイチゴは甘味が少なく、生で食べることはできません」。

インドで日本と同じ風味にするためには、気候を日本と同じにしなければならない。岩佐氏は、GRAのコンピュータシステムを用いた温室を使えば、インドでもイチゴに最適な気候を維持する自信がある、と語る。

「自信はあります。唯一の心配事は未知の病気や害虫ですね。」

イチゴ栽培は、ムンバイから近いプネで行われている。インドの農民の生活を改善するため、国際協力機構(JICA)のプロジェクトの一つとして、11月に始まり、この春の収穫を待っている。

「日本の農業は、世界で成功できるということを知ってほしい」と、岩佐氏は言う。

インドの次はサウジアラビアに進出する。インドと同様、女性の働く自由が確立していない国だ。

サウジアラビアのイチゴは、主にエジプト産である。米国産もあるが、非常に高価だと岩佐氏は言う。どちらも甘味が少なく、甘いイチゴを作る国は韓国と日本だけだ、と付け加える。

東北に持続可能の成長を

東日本大震災から2年が経った。「資金を注ぎ込むだけでは、もはや効率的な東北支援とは言えない、援助金がなくなった後でも東北の復興が持続可能となるように、東北の事業を支援すべきだと思います」と岩佐は語る。

「震災後3年目に入りますが、今まで多くの財政支援が東北にもたらされました。それはカンフル剤としてはよいが、東北への資金援助が停止したときに、何をすべきかを考えるべきなのです」。

Yamamoto-chou, Miyagi

「我々は、世界中のライバル製品を負かすことができる製品を作るべきです。そのようなメンタリティーで物作りをしないと、国内でさえも競争力のある物を作れなくなります」と岩佐氏は主張する。

「私たちがやるべきことは、復興という言葉で表すのはふさわしくありません。何も無い状態から何かを生むくらいのつもりでないといけません」。

Produced by The Japan Times